オリンピック・テニス編
テニスの歴代グランドスラム達成者を列挙しておきます。
■男子シングルス
ドン・バッジ (アメリカ、1938年)
ロッド・レーバー (オーストラリア、1962年・1969年)
■女子シングルス
モーリーン・コノリー (アメリカ、1953年)
マーガレット・スミス・コート (オーストラリア、1970年)
シュテフィ・グラフ (ドイツ、1988年)
同年に1988年のソウル五輪金メダルも獲得したことから
「ゴールデン・スラム」(Golden Slam)も達成
■男子ダブルス
フランク・セッジマン、ケン・マグレガー
(ともにオーストラリア、1951年)
■女子ダブルス
マルチナ・ナブラチロワ、パム・シュライバー
(ともにアメリカ、1984年)
■混合ダブルス
ケン・フレッチャー、マーガレット・スミス(ともにオーストラリア、1963年)
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テニスのグランドスラムは、大会によって、
コートの種類が違います。
全米は芝、全仏はアンツーカー(レンガを砕いたもの)、
全米と全豪はアスファルトの上にクッション材をコーティングした
ハードコートです。
球のバウンドの仕方が異なるため、
選手によって、得手不得手があります。
4大大会を制するためには、
選手はどんなコートにも対応する練習をしなければなりません。
すべてに優勝するグランドスラムの称号を手にするのは、
すごいことなのです。
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テニスには、グランドスラムと呼ばれる大きな大会があります。
全英、全米、全仏、全豪です。
全英はウィンブルドン大会と呼ばれるものです。
アメリカは何でも一番になりたがる国だから、
開催国としても譲らなかったのでしょう。
フランスも当時スザンヌ・ランランという名選手がおり、
また昔からイギリスと仲が悪かったため、
自分たちも独自開催を開きたかったからでしょう。
オーストラリアなどからも強い選手が出てくると、
前回の記事のように、かつての宗主国への反発や、
やはり独自の選手権大会を開こうということになったのでしょう。
今でもそうですが、昔は金持ちしかテニスをしないので、
プレーヤーも1人(シングル)や2人(ダブルス)と少ないこともあり、
その金持ちが海外を転々とするのはたやすいことでした。
テニスといえば、オリンピックよりも、
どうしても華やかな4大大会の方にフォーカスしてしまいます。
テニスの大きな国際試合の大会が4つもあるのは、
どの国も自己主張してひとつになれなかった事情があります。
中でも、イギリスとオーストラリアの関係は微妙です。
かつて、イギリスが在任をオーストラリアに流刑していました。
オーストラリアは、大英帝国の植民地であったことから、
現在でも英連邦王国の一国というのはご存知だと思います。
そういう経緯があるため、
イギリスからオーストラリアに移ってきた人々には、
「イギリスとの試合には負けられない」という意識があります。
クリケットでは、年に一度、
イギリスとオーストラリアでテストマッチを行いますが、
「お前たちを灰にしてやる」という昔からの悪口を、
今でも彼らは言い合います。
テニスに関しても同じで、いわば遺恨試合のようなものです。
テニスのオリンピック競技としての歴史を列挙します。
■1896年アテネ大会
テニスを含む8種目で競技
(第20回ウィンブルドン)
■1920年アントワープ大会
日本初メダル 熊谷一弥(シングルス銀メダル)
熊谷一弥・柏尾誠一郎(かしお せいいちろう)組(ダブルス銀メダル)
■1928年アムステルダム大会
オリンピックの種目からテニスが外れる
■1984年ロサンゼルス大会
エキシビション競技としてテニス復帰
■1988年のソウル大会
正式種目としてテニスが復帰
プロ選手解禁後、シュティフィー・グラフが、
初のプロ選手のメダル獲得
■1996年アトランタ大会
伊達公子ベスト8、杉山愛ベスト16
なお、第1回アテネ大会をさかのぼる1877年に、
第1回ウィンブルドンが開催されました。
4大大会の方が歴史は古いのです。
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