オリンピック・サッカー編
オシム監督が、脳梗塞で倒れたことは、
本当にビックリしました。
60歳を過ぎた監督なので、多少の心配はしてました。
次の代表監督を考えることさえ、
失礼で申し訳ない気持ちがよぎります。
しかし、サッカー界としては、大変な事態です。
祈るしかないので、動向を見守りましょう。
さて、そのオシム監督は実は経歴を述べておきましょう。
イビチャ・オシム監督は、
旧ユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身です。
選手時代のポジションはフォワードでした。
サッカー選手として、1964年東京五輪で日本に来日し、
当時日本代表選手だった川淵キャプテンとも激突してます。
ユーゴスラビア代表として活躍し、
日本との順位決定戦では2ゴールを挙げました。
クラブチームでは、サラエボでプロとしてのキャリアをスタートし、
フランスのチームを転々とし、1978年に引退しました。
2003年から、Jリーグ ジェフユナイテッド市原
(2005年シーズンからジェフユナイテッド市原・千葉に改称)
の監督を務めまたことはご存知だと思います。
在籍4年目の2006年時点では、Jリーグ最年長監督でした。
そして、ジーコ監督の後、日本代表監督就任要請を受け、
2006年7月21日、日本代表監督に就任しました。
では次に、過去の戦績です。
■ジェリェズニチャル(クラブチーム)監督時代の戦績
1985年 UEFAカップ準決勝まで駒を進めるが敗れ、決勝進出を逃す。
■ユーゴスラビア代表監督時代の戦績
1990年 FIFAワールドカップイタリア大会でベスト8
有名なエピソードがあります。
旧ユーゴはいろんな民族で構成されてますが、
各民族のスターばかりを集めた選手起用を求めるメディアに対して、
当てつけとして、初戦ドイツ戦で敢えてその要求通りの起用で敗戦。
次の試合では本来考えるチーム編成で勝利し、
最終的には、準々決勝でマラドーナを擁するアルゼンチン相手に、
1人欠きながら120分間無失点のドローの末、PK戦で敗れたのです。
オシム監督は、国際的な評価は高いですが、
あの有名なサビチェビッチ選手は反発していたそうです。
どこかのTVインタビューで批判してました。。。
プロスターズプラチナム ジャパンスペシャルエディション3 D.サビチェビッチ
イタリア セリアAのACミランで活躍し、
ユーゴスラビア代表では10番を背負い、
ストイコビッチ(ピクシー)とともに活躍しました。
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■オーストリア グラーツ(クラブチーム)監督時代の戦績
当時、すでに名将と呼ばれていたオシム監督は、
ヨーロッパのビッグクラブからの監督要請が多い中、
オーストリアにて弱小だったチームを選びます。
1995/96 オーストリア・カップ(初)優勝、
オーストリア・ブンデスリーガ2位
1996/97 オーストリア・カップ優勝、
オーストリア・ブンデスリーガ3位
1997/98 オーストリア・ブンデスリーガ優勝、
UEFAチャンピオンズリーグ出場
1998/99 オーストリア・ブンデスリーガ優勝、
オーストリア・カップカップ優勝、
UEFAチャンピオンズリーグ出場
1999/00 オーストリア・ブンデスリーガ2位、
UEFAチャンピオンズリーグ出場
2000/01 オーストリア・ブンデスリーガ4位
2001/02 オーストリア・ブンデスリーガ2位
■ジェフ千葉時代の戦績
2003年 ジェフユナイテッド市原監督に就任
2005年 Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝
上記のどれも、とても輝かしい成績です。
名将と謳われる所以です。
DVD 引き裂かれたイレブン オシムの涙
バルカン半島の火薬庫と言われるユーゴスラビアは、
クロアチア、セルビア、モンテネグロ、
ボスニア・ヘルツェゴビナと次々と分裂し、
社会的に想像を絶する苦労が、
オシム一家にもあったことと思います。
奥さんなどは国外に脱出できなかったと聞いたことがあります。
どうなるオシムジャパン!?
もうオシムジャパンと呼ばれなくなるのか?
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サッカーの国際試合につきものが日の丸です。
サポーターといわれる応援団は日の丸をうち振り、
顔には日の丸をペインティングしています。
それを見て、感動に打ち震え、
日の丸と君が代に誇りを持つ時間です。
確かに、国際試合において、
国家を歌ったり、日の丸を打ち振るという行為は、
ナショナリズムの発揚というより、
単なる「90分のナショナリズム」とでも言えるものに過ぎないです。
その90分が終わってしまえば、
今まで必死で日の丸を打ち振っていた人も、
ごく普通の国際感覚を持った健全な市民に戻るのです。
実際、その90分間は、
私もナショナリズムの塊となっています。
その様子をビデオに撮れば、
戦前の軍国主義者も真っ青になる程の
偏狭さをさらけ出しているはずです。
そう言えば、公正であるはずのアナウンサーでさえ、
敵のゴールが決まれば「入ってしまったー!」と叫び、
日本のゴールが決まれば、
最大級の絶叫で「ゴぉぉぉぉール!」を連呼します。
でも、そのアナウンサーが、
偏狭なナショナリズムに凝り固まった人物だとは
誰も思わないでしょう。
彼のナショナリズムもやはり「90分のナショナリズム」なのです。
どうも人間にとってナショナリズムというものは必要悪のようです。
サッカーが最も盛んなヨーロッパは、
政治的なナショナリズムとは、最も縁の遠い地域です。
ところが、そのヨーロッパの人たちは、
ひとたびサッカーの試合となると、
人が変わったようにナショナリズムの人と化します。
友人同士で国旗・国歌の問題を論議していた時に、
私の知り合いのイタリア人が、
「イタリアでは国歌を歌う人はファシストと思われる」
と語っていました。
学校では、ナショナリズムよりは、
国際理解に重点を置いた教育を行っていると語っていました。
そんな彼もサッカーの試合になると「ファシスト」に変身しました。
それを指摘すると彼は肩をすくめるだけでしたが、
この現象は何もイタリアだけに限ったことではありません。
つまり、ナショナリズムというものが、
人間が陥りやすい最も危険な
罠であることを彼らは知っています。
だから、その危険な罠を「90分のナショナリズム」の枠に
押しとどめることによってバランスを保っているのではないでしょうか。
サッカーは世界で最も普及しているスポーツです。
ワールドカップでの優勝は何にも勝るタイトルであり、
オリンピックにおけるどの金メダルよりも値打ちがあることを
世界中の人が認めています。
言葉を変えれば、
人類が最も多くのエネルギーをそそぎ込んで闘っているスポーツ、
それがサッカーです。
まさに戦争の代償行為と言えるのかもしれません。
人々はそこで、戦争の疑似体験をする事によって、
本当の戦争を引き起こすかもしれない危険なナショナリズムの台頭を
阻んでいるのかもしれません。
あれほどのスポーツ大国でありながら、
何故かサッカーがメジャーにならないのがアメリカです。
FIFAランクではそこそこの位置にはいますが。
そのアメリカが今もなお、あちこちで本物の戦争を
引き起こしているのを見ると、
あながち的外れではないように思います。
日本人がサッカーにも当てはめる価値観、
日本のサッカーのスタイルとしての特徴として最後に、
勝ちつづける、トップでありつづけることがホントに苦手です。
勝って気が緩み、負けて気を引き締め直し、の繰り返し。
あるいは、試合中でも、
最後まで緊張感を維持できずに逆転負けが多い。
明治以来の殖産興業でもトップを追いかけて、
キャッチアップするまでは得意。
ライバルがいなくなり、
二番手からトップになったとたん目標がなくなる。
あるいは、睨み(にらみ)が効いて、
相手が参ったとでも思っているのか。
日本人なら睨みは効いても、外国相手に絶対それはない。
ダントツで、戦意を失わせるほど大差をつけ続ける
ことができないし、しようとしない。
勝つまでより、勝ち続けることの方が難しいし、
価値があると思うのですが。
以上のことはサッカーやスポーツに限った話ではなかったですね。
まさに、日本人の文化論が関係してます。
日本人がサッカーにも当てはめてしまう価値観の2つ目は、
相手に合わせた試合をしてしまうことです。
強豪国相手ならチャレンジ精神でたまに善戦します。
よもや勝ちを収めることも。
相手が弱い場合なんか、
勝ちはしても、手を抜いたバカにしたような試合をしてしまう。
よもや負けか引き分けのブザマなことも。
10−0とかで勝ってもいいと思います。
強いものが勝つということを相手に見せつければいいのに。
必死の形相で勝ってやったらいいのに。
相手に失礼です。
ラフプレーのチームにはラフプレーしてしまう。
とにかく、相手に合わせる傾向があります。
どんな場所でもマイスタイルを貫く
という信念がないように思えます。
日本人なら理解できる話です。
仕方ないかも知れません。
幼い頃より相手や周りに合わせるように言われたシツケ。
変な平等意識で育ち、とにかく突出はダメだと。
日本人は、サッカーに限らず、
というかサッカーにも当てはめてしまう価値観があります。
まず、「結果的にみんなで点を取った形を望んでしまう」傾向です。
ピッチの選手同士も観客もです
そう、「何であそこでパスするの?、オマエが打てよ」っていうやつ。
こういうものは確率を高めればいいことで、
スペースの空いた所にいる選手など有利な選手、
よりベターな位置の選手にパスするのは全然OKです。
ペナルティエリアでは、不利でも強引に、
ましてや自分がチャンスだったら、
強欲な「傲慢なエゴイスト」になればいいのに。
オレがっ、オレがっ!を前面に出してほしいです。
ケンカになるくらい。
勝てばいいんです。
個人か全員かが問題でなく、勝つか負けるかです。
反省点は後でいいから、とにかく勝たないと。
とにかくゴールを狙って点を取らないとダメです。
それにしても個人プレーを許さない日本の風潮。
スーパースターを許さない、
スタンドプレーを許さない日本の和の精神。
第2第3の中田英寿はこれからも出てきても、
世界で伝説に残る生粋のストライカーなんかは
生まれないような気さえします。
周りも選手自信も、
スタンドプレーを許さないし、
周りを意識するプレーに自らしてしまっています。
政界でも同じで、“リーダ”を望んでいるようで、
実は強烈な突出した存在なら許さないのです。
個人個人は透明であってほしく、まとめて団結した時しか、
強烈な色とパワーが出ないと信じているようです。
だから、ビジネスでも政界でもスーパーマンのような人間は生まれない。
オリンピックでも、いつもそうでしょう。
メダルには手が届いた選手はいなくても、
入賞した選手は多いと、選手層の厚さを強調するマスコミ。
メダリスト以外は負け犬です。
もっと言えば、
金メダルや一位や優勝者だけが本物だと思います。
全世界で、サッカーというスポーツをしない国はない。
野球は北中米とアジアの一部、あとは豪州やロシアくらい。
プロリーグがあるのは更に少ない。
要するに「野球はマイナーなスポーツ」だということ。
そんなこと言っても信じたくないでしょう。
それらの野球人口の国々の中で、
金メダルだメダルを逃しただのと言っているだけ。
もちろんオリンピック前とかは、
アフリカもヨーロッパなども、
臨時に野球のナショナルチームを編成します。
しかし、市民レベルでも、
常時どこかのグラウンドで練習とか、
試合やっているということはないです。
「野球は知的な頭脳戦」で「サッカーは単純なルールで野蛮」
という偏見。
新しい国(アメリカなど)や文明国では、
足なんか使ったスポーツ(サッカーのこと)はしないとか
言う人がいます。
サッカーは、単純なルールのようで、
フォーメーションや戦術は奥深いです。
頭脳なら日本は負けないというなら、
頭脳でどこまで勝負できるかやってみたらいいです。
日本人が分かっていないというか、認識していない事は、
「サッカーは頭脳でさえ勝てていない」
ということです。
頭脳プレーって色々あるのでしょうが、
フォーメーション、マンマーク、時間配分、攻勢をかける時間帯、
気持的には、たとえ手を使ってでも阻止するという徹底して守る時間帯、
不利な時はゲームの流れを殺すとか、
審判に分からないよううまくズルする、・・・
サポーターが野蛮だとかいうイメージも持っているよう。
野球が文化になっている理由は簡単な話で、よく言われるのは
会話しながら(TV)観戦できる
和とかチームプレーを優先する
また、なんといっても体育会系の上下関係の方が日本人は好き。
プロサッカーのように、
実力オンリーで先輩でもタメ口で呼び捨てする世界に眉をしかめる。
プロサッカーは相当な体力が必要なスポーツ。
30才まで持たない。
プロ野球人として平均的に30代後半までプレーできるというのは
私に言わせればオジサンでもできるスポーツとも言える。
ちょっと言い過ぎかな。
使う筋肉も違うし、プレースタイルやルールもまったく異なるので、
違った意味の体力は必要なのだろうが。
日本人は、オリンピックでは、
野球は金メダルで取らなきゃ という思いは強いです。
でも、サッカーにそんな妄想ともいえるものを抱く人はいない。
完全に文化になっているスポーツと、
プロ化して10年ちょっとのスポーツとの違いです。
ブラジル人のサッカーに対するプライドは、
日本人の野球に対するプライドにあたります。
考えてみたら分かると思います。
野球なら、日本人の場合、
子供もおじいちゃんおばあちゃんも“監督”の目を持ってます。
ピッチャーの変え時の采配がどうとか、調子がどうとか、
ここは三振だ、いや打たせてゲッツーだ、バントだ代打だ、満塁策だ・・・、
たとえば、
野球が流行らない、どっちかといえば嫌いなイギリスが、
プロしたとして数年経って騒いでいたとしたら、
野球文化の長い歴史の日本が見たら子供魂のスポーツ
にしか見えないはず。
サッカーはどうですか?
日本には、監督の目を持っている子供や年寄りどころか、
若い世代でさえよく分かってない。
単純なスポーツのようで、オフサイドも知らない人がいる。
フォーメーションや戦術も知らない。
南米も欧米もおじいちゃんやおばあちゃんはすごいです。
監督の目を持ってます。
これが文化の差です。
プロ化12年くらいの後進国が何騒いでるんだというにしか見えない。
欧米や南米ではプロ化90年とか100年はざらです。
格が違います。
“フットボール”と呼ばず“サッカー”と呼ぶ日本やアメリカは、
バカにされているんですよ。
かつてW杯ブラジル大会でのマラカナン球技場にて、
悲劇が起きました。ショック死や自殺です。
マラカナンの悲劇
その事故を受けて、
弱さの象徴であるカナリア色の黄色が、
ご存知のセレソンのナショナルカラーになったのです。
栄光のセレソンが着るあのユニフォームには、
そういった悲しい歴史があったのです。
日本とは歴史の深みが違いすぎ。
ブラジルに限らず、欧米、中南米、アフリカ、アジアで、
こんなに愛される、こんなに国を愛せるスポーツは他にないです。
とにかく国を愛する者がプレーをし、
国を愛する者が応援してほしいという思いが強いです。
サッカーというスポーツは特にそうですが、
クラブチーム同士はそうでもないですが、
ナショナルチーム同士では、武器を使わない戦争なんです。
サッカー日本代表選手の中にもし、
「日本のためにやってるんじゃない」
「オレは自分のためにやってる」
「注目されて、市場価値を高めたいだけ」、
「日の丸、国旗、国歌なんてクソ食らえだ!」
なんて思っている選手がいたら、
即刻代表を辞退してほしいくらいの気持ちがあります。
ワールドカップなどのA代表やオリンピックなどの場においては、
リーグ戦やサークルではない、お金や売名行為でもないのです。
国旗を背負うということは「国の威信」を賭けて戦うものなんです。
プレッシャーで頭痛や嘔吐や熱が出るくらい真剣で当然です。
熱狂的な応援という意味で阪神ファンを引き合いに出します。
阪神ファンというのは、ファンというよりもオーナーの意識です。
阪神タイガースというものは、自分のものという意識です。
自分のチームが勝つために、選手に戦ってもらっている。
勝ってもらわないと、応援しているオーナーである私が困るのです。
怒ってしまうのです。私のものであるから。
サッカーについても、日本代表というもの、その試合の意義、
その後の世界の評価、ランク、勝ち負けの結果という事実など、
すべて選手のものではないのです。
サポーター含めたその国のものなのです。




