オリンピック・柔道編
フランスでは、日本の道場のようなところはありません。
地域の総合スポーツクラブというものがあり、
その中の一つのスポーツとして柔道をします。
最初から柔道オンリーという選手はいません。
多くの種目を掛け持ちで始めるのです。
この社会システムはドイツでも同じだそうです。
日本では、街の道場あるいは、学校のクラブ活動
という限られた空間。
いい指導者がいればいいが、いなければ恵まれない。
日本は受身ですが、フランスではいい指導者がいれば、
自分たちの自治体へもっとお金を出して雇おうとするそうです。
地域の総合スポーツクラブというのが、
日本で根付かない理由は、指導者に教えてもらう姿勢しかなく、
自分たちが指導者を探す姿勢にないことを指摘する声もあります。
まあ、とにかく、フランスの方が、柔道人口が多く、
スポーツの社会システムも柔道に貢献している
という事実があるということです。
バルセロナ五輪で田村亮子を倒して優勝したノワク、
シドニー五輪で篠原信一を下したドイエなど、
金メダリストを輩出しているフランスは、
世界一柔道人口が多い国なのです。
日本で確認できる柔道人口は20万人、
フランスはなんと50万人いるのです。
フランスは、日本の講道館との太いパイプを
早くから作っていて、盛んに交流しています。
フランスのトップクラスの選手を講道館に送り込み、
長期に渡る指導を受けさせたり、
若くて有能な日本の指導者をフランスに招聘して、
指導にあたらせたり、とても熱心なのです。
フランスは驚くほど柔道の情報が流されており、
柔道家は、社会的地位も高く尊敬されるのです。
日本の講道館の中にも、橋渡しとして貢献した人もいるとか。
日本の柔術のきっかけは、武士階級の人々です。
武士の戦(いくさ)は、弓矢で始まり、
その後、槍や刀による接近戦に移ります。
槍や刀が折れたら素手で組み討ちするしかありません。
そこで、相手の間接を取ったり、首を絞めたりしたのです。
戦では、人質に取ることが多かったので、
必ずしも殺すのが目的ではありません。
とにかく、この組み討ちから技が発展しました。
武士は戦場に出る時は、鎧の下は白装束を身に着けます。
白は決死の覚悟で戦いに望む意味です。
白い柔道着は白装束だったのです。
なので、合理性だけでカラーにするわけにはいかなかったのです。
日本では、白は神聖な色なのです。
柔道場には必ず神棚があります。
海外ではどうか知りませんが。
とにかく、日本人にとっては、
高度な精神性を内包した武術なのです。
しかし、柔道に代表されるこのような問題は、
土着のスポーツが国際化していく過程で、
必ず起きる問題なのでしょう。
余計なものを取り除いてみんなのものになるよう、
また平準化したスポーツになるようなことが、
逆に国際スポーツというものなのでしょう。
1997年、国際柔道連盟パリ総会で、
カラー柔道着の採用が決まりました。
押さえ込みの判定のときに見やすい、
といった合理的な意見が多数だったのです。
2000年のシドニー・オリンピックで導入された後も、
アジア柔道連盟が主催する大会では、
白い柔道着のみで行っていました。
しかし、2003年のアジア選手権からは、
カラー柔道着が正式に導入されることになりました。
日本の柔道連盟が白い柔道着に強く抵抗しました。
柔道の歴史や白の理由などを知れば、
もはや柔道ではなくなるという思いは私にもありました。
先日の世界柔道選手権での判定でも、
オリンピックでも納得のいかない判定がありました。
カラー柔道着にしても、技を見極める目にしても、
見る眼が肥えてないとしかいえません。
「柔道」は、もはやスポーツとしての「JYUDO」なのです。
柔道は嘉納治五郎(かのうじごろう)の貢献により、
世界中に広まりました。
なんと、「シャーロック・ホームズ」シリーズの中にも、
柔道家が登場するのです。
1890年代のイギリスの小説です。
当然、作家のコナン・ドイルも、
小説に利用するほど柔道に関する最新情報を持っていたのです。
私はシャーロック・ホームズをまともに読んだことがなかったので、
これにはちょっと驚きました。
コナン・ドイルはクリケットの名手で、
スポーツ万能であったことということを考えると、
不思議でもなんでもありません。
私自身も柔道をやっていたので、
当然、嘉納治五郎のことは知ってましたが、
19世紀末期にすでにこんなに国際的に広まっていたとは
知りませんでした。
柔道などは、戦後あたりから、
緩やかに広まったのだろうくらい思ってました。
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嘉納治五郎(かのうじごろう)が、
海外で柔道を普及していくうち、
「柔よく剛を制す」といった禅の思想も
国際的に理解してもらったようです。
禅のもとになったタオイズム(老荘思想)的なものにまで言及し、
柔道の「道」は禅の修業そのものであると同時に、
タオイズムの「タオ(道)」に通じていると説いたのです。
老子の思想を一言でいえば「道」です。
道を中国語では「TAO(タオ)」と発音することから、
老荘思想、あるいは初期道教は、タイオズムとも呼ばれています。
欧米人たちは、
「柔道はそんなに奥が深いのか、ちょっと違うな」
という感心を呼んだそうです。
嘉納治五郎(かのうじごろう)の普及活動は、
国内だけに留まらず、海外に赴き、
各地で柔道の公演・実演を行いました。
欧米各国の指導者の支持も取り付けて、
国際柔道連盟の原動力となりました。
彼が欧米の指導者たちから共鳴を受けることができたのは、
彼の人格もさることながら、語学力によるものが大だったとか。
1909年、東洋で初めてIOCの委員になった彼は、
東京帝国大学文科出身で、
海外でも言葉に不自由することはありませんでした。
演説もうまかったようです。
嘉納治五郎は、柔道の実演で、
大柄な欧米人をいとも簡単に投げ飛ばした上で、
柔道の神髄とはこうだと英語できちんと説明するのです。
これを見聞きした多くの欧米人は、
心の底から感動し、東洋の神秘に映ったのでしょう。
常に金メダルを狙う柔道の日本選手は、
予選でスタミナを消耗しないで決勝進出を決めることが、
鍵になります。
金メダルには、そのような技術・戦術が要求されます。
予選を短期決戦で乗り切れた選手は、
決勝で断然有利になります。
しかし、分かっていてもそうはいかないのが勝負の世界。
それを克服していくところに
感動のドラマが生まれるのです。




