オリンピック・競泳(水泳)編
木原 光知子(きはら みちこ)さんといえば、
元水泳選手であり、タレントでもあり、実業家の顔も持ってました。
美人で、低音で、そのハスキーな独特の声が特徴でしたね。
東京オリンピックでは、400mメドレーリレー4位という成績でした。
オリンピック後は、1967年1月 日大水泳部を退部し、
東レ専属の水着モデルとなります。
1984年には、大磯ロングビーチキャンペーンガールを務めます。
その他、映画、ラジオ、CMにも多数出演しました。
以前、ソウルオリンピックでの鈴木大地の記事中で、
彼の独特の泳ぎ方を後で知ったと書きましたが、
この解説をしていたのが木原 光知子さんだったのです。
彼女のオフィシャルサイトを覗くと、
すばらしいメッセージが紹介されていました。
自分なりに要約すると、
他人は関係ない、すべて自分との闘いだ、
これまでやってきた自分を信じること。
日常すべてが訓練の場になり、
どれだけ練習すればいいということがない。
長い長い競技生活や人生で培ったものですね。
私も小学校の時に水泳やっていたので、
とても尊敬しています。
2007年10月13日、神奈川県平塚市内のプールで、
親子水泳教室の指導中に倒れ、
意識不明のまま平塚市民病院に搬送されました。
一時は意識を回復したものの、同18日午前1時25分、
くも膜下出血のため死去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
享年60(59歳没)
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バタフライの泳ぎ方は難しいです。
そのコツは、
バタフライは、前伸ばした両手で頭をはさんで、
思い切り水中に突っ込み、最初はやや深く潜るのです。
そうすると、反動で自然に体がぽーんと水面に飛び出してきます。
後は、そこに腕の動きをつけるだけ。
手のかきを使わずに頭の突っ込みだけで泳ぐこともできるのです。
まさにイルカの動きです。
体の上下の動きがメインで、腕は添え物です。
バタフライは、クロールの次にスピードが出る泳法なので、
背が高くて、ある程度の体重があると有利です。
水の抵抗を押し切って進むには、
縦に細長く質量を持つ、つまり、
背が高くて手足が長い体型が理想です。
日本がオリンピックに初参加したのは1920年の第7回大会。
当時の選手は、抜き手や方抜き手、横泳ぎといった古式泳法
で泳いでいましたが、決勝には進めず。
スタートラインの練習もできていなかったのです。
その後、第8回オリンピック大会で入賞。
第9回、10回大会で連続して優勝してメダルを獲得。
日本の自由形は平泳ぎ同様、世界のトップに立ったのです。
第2次世界大戦後、日本は第14回ロンドン大会に参加できず。
オリンピックと日程を合わせて行われた国内の競技会で、
古橋広之進が世界記録を出したのは有名な話です。
平泳ぎと違って、クロールは体が大きい方が有利です。
背が高ければ、飛び込んだ瞬間から有利です。
また、体重が重ければ、
飛び込んだ勢いで水中を進む力も大きいです。
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規制が多くなる水泳は、
パワーよりも技術的な要素が重視されます。
体格のいい選手が有利とは限りません。
バルセロナ・オリンピックで金メダリストとなった
華奢(きゃしゃ)な岩崎恭子などはいい例です。
古くは、1928年の第9回と
1932年の第10回オリンピック大会で、
鶴田義行が200m平泳ぎで2連覇。
次のベルリン・オリンピックでは、
葉室鉄夫と前畑秀子が優勝。
日本が平泳ぎ王国であることを世界にアピールしたのです。
水泳の他の種目の記録は落ち着いても、
平泳ぎだけはまだ伸びるだろうと言われています。
先人の編み出した技術を受け継いで、
自分なりに新しい工夫を加えていくのは、
日本人の得意な分野です。
平泳ぎは日本人向けなのでしょう。
水泳で頭を水面上に出すというルールができたのは、
1956年のメルボルン・オリンピックで金メダルを獲得した
古川勝の泳ぎがきっかけでした。
彼はレース中、ほとんど水に潜った状態で進みました。
その後、潜水泳法は、
練習中に溺死事故を生みやすいという理由で、
国際水泳競技連盟が禁止しました。
これは明らかに作為的なものです。
いろいろな憶測を生んだものです。
オリンピックは、欧米先進国中心の考え方が色濃いのです。
日本人の活躍に快く思わない人は多いのです。
水泳競技は陸上競技に次ぐオリンピック競技のメインイベント。
水泳の泳ぎ方に関する規制が多いのも、
こういった経緯が他にもあった結果だからのようです。
それにしても、トップクラスの水泳選手が、
潜水泳法で溺死する事故が起こるとは思えません。
昔の侍は、お堀で泳ぎを練習したのです。
もし、城めぐりをすることがあったら、
お堀の説明を注意して見てみてください。
「ここはプールだった」
といった内容が書かれている場合があります。
高松城の立て看板には、
「水任流の泳ぎをやっていた」とあります。
瀬戸内海に面した高松城のお堀は、
海水を直接引き込んでいたそうです。
今でも時折、夏になると皇居のお堀に飛び込む人がいます。
警官があわてて止めに入ったりして、
物議をかもし出すことがあります。
元々プールであったことを考えれば、
あながち間違いともいえないようです。
水泳選手には黒人が少ないです。
理由のひとつは、
アフリカ諸国などは、経済的に乏しく、
競技用のプール施設が充実していない国がほとんどです。
水道と同じ水でトイレも流せるような日本と違い、
水不足問題を抱えているような地域では、
プールなど造っている場合ではないでしょう。
人種差別の問題も関係しています。
アメリカでは、今でも、
黒人の乗るバスと白人の乗るバスを区別している地域があります。
黒人と同じプールに入りたくないといった勝手な理由で、
黒人選手が水泳を練習する環境が制限されていることも事実です。
また、比重の関係で黒人は向いていないと指摘されていますが、
しっかりと検証されたものかは定かでありません。
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1988年のソウルオリンピックの
鈴木大地の金メダルのことをまずは書きたいと思います。
競泳男子100メートル背泳ぎの鈴木大地(21=順大)は、
得意のバサロスタート(潜水スタート)を爆発させ、
55秒05の日本新記録で優勝した話です。
日本選手が競泳で金メダルを取ったのは1972年、
ミュンヘン大会男子100メートル平泳ぎの田口信教、
女子100メートルバタフライの青木まゆみ両選手以来、
16年ぶりの快挙となったのです。
「ひみつ!」
鈴木大地は決勝レースへの作戦を聴かれた時、
そう一言だけ口にしました。
1988年9月24日、ソウルの蚕室五輪プール。
大地は予選を55秒90の3位で通過。
米国のバーコフは54秒51の世界記録を出してトップ通過。
大地の持つ日本記録は55秒32。
1秒近い大差の逆転は、不可能なようにも思えました。
決勝レース
鈴木大地は今まで25メートルだったバサロスタートを、
なんと!30メートルまで延ばしたのです。
バサロとは、
水中に潜ったまま仰向けのドルフィンキックだけで進む技術。
スピードは出るが、体力を消耗するために長く潜ると、
後半のロスにつながるのです。
それでも、30メートル潜ったのです。
「まだもぐってる!、まーだもぐってる!、あがってこない!」
こんな感じのアナウンサーの絶叫がまだ耳に残ってます。
トップのバーコフに体半分遅れてターン。
後半で追いつき、タッチの差で優勝したのです。
「奇跡の金メダル」「大逆転優勝」と、
それはそれは世間には騒がれました。
しかし、本当はすべては作戦通りだったのです。
五輪本番を前にした練習で、
鈴木大地はバサロを繰り返していました。
それも、いつもの25メートルではなく、もっと長い距離を。
バサロを延ばす金メダル作戦です。
鈴木コーチ
「予選のトップはバーコフだろう。
3位以内なら大地にもチャンスがある。
バーコフは精神的にもろく、本番に弱い。
タイムでは負けても、勝負なら勝てる。
バサロを伸ばして逃げ切り型のバーコフにプレッシャーをかける。
前半で差がついていなければ、相手は焦る。
必ず泳ぎのバランスを崩す。
そうすれば、ラスト25メートルあたりで追いつける。
あとはポリャンスキーを含めて3人の争い。
勝負はタッチの差になる」
結果は、その言葉通りになったのです。
バーコフを精神的に追いつめるためには、
隣のコースで泳がなければならない。
競泳は、予選トップが4コース、2位が5コース、3位が3コース
と決まっていました。
だから、予選3位以内が必要だったのです。
予選に弱いと言われていた鈴木大地は、
しっかりと3位に入った。
後は「バサロ延長」を実行するだけだったのです。。。
(日刊スポーツ)
当時はスナックに居て、そこにあるテレビで見てて、
ものすごく興奮しました。
背泳ぎする鈴木大地の両足はやわらかく、
くるぶしからから先をスクリューのように回している
とかいう話を後で聞き、
作戦といい恵まれた体といい、すごいなと思いました。




