オリンピック・サッカー編
サッカーの国際試合につきものが日の丸です。
サポーターといわれる応援団は日の丸をうち振り、
顔には日の丸をペインティングしています。
それを見て、感動に打ち震え、
日の丸と君が代に誇りを持つ時間です。
確かに、国際試合において、
国家を歌ったり、日の丸を打ち振るという行為は、
ナショナリズムの発揚というより、
単なる「90分のナショナリズム」とでも言えるものに過ぎないです。
その90分が終わってしまえば、
今まで必死で日の丸を打ち振っていた人も、
ごく普通の国際感覚を持った健全な市民に戻るのです。
実際、その90分間は、
私もナショナリズムの塊となっています。
その様子をビデオに撮れば、
戦前の軍国主義者も真っ青になる程の
偏狭さをさらけ出しているはずです。
そう言えば、公正であるはずのアナウンサーでさえ、
敵のゴールが決まれば「入ってしまったー!」と叫び、
日本のゴールが決まれば、
最大級の絶叫で「ゴぉぉぉぉール!」を連呼します。
でも、そのアナウンサーが、
偏狭なナショナリズムに凝り固まった人物だとは
誰も思わないでしょう。
彼のナショナリズムもやはり「90分のナショナリズム」なのです。
どうも人間にとってナショナリズムというものは必要悪のようです。
サッカーが最も盛んなヨーロッパは、
政治的なナショナリズムとは、最も縁の遠い地域です。
ところが、そのヨーロッパの人たちは、
ひとたびサッカーの試合となると、
人が変わったようにナショナリズムの人と化します。
友人同士で国旗・国歌の問題を論議していた時に、
私の知り合いのイタリア人が、
「イタリアでは国歌を歌う人はファシストと思われる」
と語っていました。
学校では、ナショナリズムよりは、
国際理解に重点を置いた教育を行っていると語っていました。
そんな彼もサッカーの試合になると「ファシスト」に変身しました。
それを指摘すると彼は肩をすくめるだけでしたが、
この現象は何もイタリアだけに限ったことではありません。
つまり、ナショナリズムというものが、
人間が陥りやすい最も危険な
罠であることを彼らは知っています。
だから、その危険な罠を「90分のナショナリズム」の枠に
押しとどめることによってバランスを保っているのではないでしょうか。
サッカーは世界で最も普及しているスポーツです。
ワールドカップでの優勝は何にも勝るタイトルであり、
オリンピックにおけるどの金メダルよりも値打ちがあることを
世界中の人が認めています。
言葉を変えれば、
人類が最も多くのエネルギーをそそぎ込んで闘っているスポーツ、
それがサッカーです。
まさに戦争の代償行為と言えるのかもしれません。
人々はそこで、戦争の疑似体験をする事によって、
本当の戦争を引き起こすかもしれない危険なナショナリズムの台頭を
阻んでいるのかもしれません。
あれほどのスポーツ大国でありながら、
何故かサッカーがメジャーにならないのがアメリカです。
FIFAランクではそこそこの位置にはいますが。
そのアメリカが今もなお、あちこちで本物の戦争を
引き起こしているのを見ると、
あながち的外れではないように思います。



